自分が未だ、「与えられる」側の人間であるから。
「与える」「与えたい」と願いながらその実、そのあと自分に「与えられる」何かしらの見返りを、求めているから。
求めるものは、笑顔と、安寧。
そしてその見返りは、「与えたい」と願う想いの強さに相応しなければならない。
「自分はこんなに想っているのに」
「自分がこんなに頑張っているのに」
「相手が笑ってくれないのは、何故だろう」
その言葉が
「足りない」からじゃない。
その祈りが
「届かない」からじゃない。
見返りを「与えられない」自分が
「頑張れていない」からじゃない。
足りてる。届いてる。
少なくとも、その瞬間は
心に笑みと安寧が訪れる。
...それ以上、何を望むんだろう。
気付けずに、もどかしく心震わせていることこそが、独り善がり。
私は未だ、「与えられる」側から抜け出せない。
でも、今はそれでいい。
どんな「永遠」も、一瞬一瞬の重なり合いであることも知っている。
笑みには、笑みを。
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